by松尾公子
3月11日(土)12:00~
1950年~1980年にかけてハーレムを中心に活躍したタップダンスグループ"Copasetics"のダンサー兼マネージャーとして要(かなめ)的役割を果たした "LeRoy Myers"が、85歳で生涯の幕を閉じたのは一昨年前。その彼が、長い間住んでいたManhattan Ave.と122th Streetの角に「レロイ・メイヤー・コーナー」という標識が掲げられることになりました。
除幕式の当日は、招待状片手にレロイゆかりの人達が集まってきて、日中のハーレムの何でもない街角が、一瞬、アフリカンドラムス、タップダンス、ジャズ、ゴスペルで満たされた素晴らしい屋外ステージとなりました。

元マンハッタン区長のパーシー・サットン氏、ディストリクトリーダーのビル・パーキンス氏や、デイヴィット・ギルモア、ハロルド・クローマー、ミケレ・・・等、現役トップクラスのタップダンサー達、ジャズミュージシャンも多数参加しました。
レロイの姪のケニーのドラムと、マックのサキソフォンに合わせて、小さなタップボードの上で次々とタップダンサーのジャムセッション。最後は、セヴィアン・グローバーのお母さんイヴェットのゴスペルで締めくくりとなりました。
余談になりますが、トミーさんが初めてハーレムに引っ越して来ることになったのは、このレロイの紹介だったそうなんです。123丁目のマンハッタンアヴェニューの角にあるParksというクラブの3階のブラウンストーンで、このレロイのアパートのスグ前。その頃、毎晩毎晩SOHOからハーレムのジャズクラブへ通ってくる不思議な日本人トミーさんを見るに見かねて、レロイがそのアパートを紹介してくれたのです。
その後、ハーレムにあるシニアシチズンセンターやナーシングホームの老人達を慰問するトミーさんのボランティアにも協力してくれて、コパセテックスのバスタ・ブラウンやバッバ・ゲインズ等、錚錚たるメンバーを紹介してくれたのもレロイでした・・・。
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